◆コレクション ノート 第5巻「カタログ・ガイド」B6判サイズ、1979年初版、
12ページ、 販売価格200円、田中秀明(MACJ)著。
◆Mini
Auto Club of Japan 機関紙「MACJ News 結成3周年・20号発行記念号」
A5判サイズ、1978年発行、48頁、川越市・岡田印刷社刊、1,000円、田中秀明監修。
◆Mini
Auto Club of Japan 機関紙「MACJ News 創刊50号記念号」
B5判サイズ、1983年発行、168頁、新宿・あばらぎ共同印刷刊、1,200円、田中秀明監修。
◆Mini
Auto Club of Japan 機関紙「月刊 MACJ News31号(以降)」
B5判、16〜24頁、編集発行:落合崇伸・表紙イラスト:今井修二・監修:田中秀明、池袋・アートいち印刷刊、毎号200円。現在は休刊中。
上記の書籍は、現在すべて絶版です。発行当時にAntique
Toys 「サンセット」(横浜市・元町)、ミニカーショップ イケダ「イケダ」(JR日暮里駅前)、アイアイアド・カンパニー(板橋区の当時)、Model
Cars 「フジヤ」(板橋区常盤台)、アライファインアート(青山)、カルロブリアンツァ(六本木)など首都圏の主要なミニカー専門店の店頭で販売されましたが、現在のストックは「サンセット」に僅かの部数が残るのみです。
■懐かしいおもちゃの自動車博物館の田中です。
ミニカーマガジン誌の2013年4月号から12回シリーズの連載執筆が始まりました。
毎回、誌面に登場する会社やショップ等を紹介いたします。(平成25年4月5日)
▲ミニカーショップイケダ ミニカーマガジン編集部が発行する日本を代表するミニカー専門
の月刊誌「minicar magazine」。
▲この2013年4月号の誌面に登場した吉岡模型店(現モデルショップヨシオカ)とは:
昭和38年に開業した地元高知では有名な模型店です。高知市のメインストリートを走る土佐電鉄の路面電車の堀詰電停前、みずほ銀行高知支店の向かいという便利なロケーションです。
開業から7年後には、土佐湾に面した仁淀川河川敷に念願の模型飛行機を飛ばすためのラジコン専用飛行場を整備した。そして、昭和48年9月にイタリア・ゴリチアで開催された「FAI?F3A世界選手権」に出場した吉岡氏は、ラジコン模型競技の世界大会で見事優勝、世界の頂点に立った。それは単なる優勝ではなく、日本人として初めての航空スポーツにおける「世界チャンピオン」の登場だった。
吉岡嗣貴さんの名前が世界中に知れ渡った。当時、朝8時ころのNHKテレビの「スタジオ102」というニュース番組で世界優勝の喜びを語る吉岡さんの姿があった。その他、テレビやラジオに生出演するなど日本中が大騒ぎとなった思い出があります。
昭和51年、「ヨシオカ モデルファクトリィ大翔」を設立し、模型飛行機メーカーとして創業を開始した。練習機「サンデー」と姉妹機「サンデーα」は、出荷累計15万機以上という大ヒット作となった。今日も世界のどこかの空で同社の模型飛行機が飛んでいることでしょう。
小学年のとき買った「吉岡模型店」で購入したゲルマニウム・ラジオ(当時、父が吸っていた「ピース」のたばこ箱くらいの大きさ)、モールス信号など様々な電子基板になる電子ブロック、英文の組立設計図を見ながら組み立てたアメリカ・モノグラム社のプラモデル。中学生になって始めたラジコンクルーザー模型はバルサ材、塩ビ塗料、受信機、送信機、サーボから全て1点ずつ買い揃えていった。
当時、私が通う中学校の音楽の先生をされていた西岡先生も吉岡模型店の常連さん、エンヤー製40のエンジンを付けたラジコン飛行機を所有されていた。高知の模型好きにとっては今も昔もなくてはならないお店です。
小学、中学、高校生のとき、頻繁に通ったふるさと高知市の「吉岡模型店」での思い出は消えることはありません。(田中秀明)
*高知を訪れた際は、モデルショップヨシオカを訪ねてみませんか。
モデルショップヨシオカは「はりまや橋」交差点から電車通りを西へ約 500mです。
なお、平成25年5月5日にお店を訪ねたところ、平成25年末には「上町二丁目」の電車通りの新しいビルに移転を予定しているとのことです。移転先の目印は「坂本龍馬の生誕地」観光スポットの目の前のビルとのことです。
▲ミニカーマガジン 平成25年4月号/通巻223号
連載第1回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
四国・高知から始まったコレクション
執筆者: 田中秀明
■ミニカーマガジン 平成25年5月号/通巻224号
連載第2回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
ミニカー専門誌は貴重な情報源
執筆者: 田中秀明
▲この誌面に登場した株式会社やのまんとは:
「株式会社やのまん」は、日本初のジグソーパズル製造メーカー。東京都台東区蔵前に本社を置くジグソーパズルやカードゲームなどの製造・開発・販売会社です。かつてはテレビゲームソフトやミニカーの制作・製造も行っていた。三菱商事が輸入していたイギリス及びフランス製のDINKY-TOYSのミニカー日本総販売元を行っていた時代もありました。昭和48、49年ころの記憶ですが通信販売の小売においても心のこもった丁寧な対応が印象的でした。
▲この2013年5月号の誌面に登場した横浜市内の千代田ママストアとは:
絶版プレミアムのミニカーを取り扱う千代田ママストアは元々横浜・元町商店街で山手に住む外国人相手に輸入食料品を販売する「千代田商会」という店舗でしたが、終戦後すぐに進駐軍相手に土産品のお店を千代田商会に隣接して開業したのが「千代田ママストア」のはじまりです。
その後、横浜駅のステーション(駅)ビルや商業施設ジョイナスにも店舗を展開して行き、また横浜・伊勢佐木町の日活会館には「ビッグボーイ」という店名でミニカー、プラモデル等々を扱う巨大なホビーショップも立ち上げました。ただ昭和52年には「ビッグボーイ」を主力とする店舗展開にシフトして元町店は閉店しました。同年には千代田ママストアの元町店で店員をされていた宇野さんが元町に新たなミニカー専門店をオープンしました。その店名は「サンセット」です。
上記の連載に登場する「千代田ママストア」のビッグボーイ店では大学生の当時、毎月2、3回は土曜日か日曜日の夕方横浜でのMACJ(ミニカー愛好家クラブ)のミーティング後、瀬川さん、高橋さんなどの会員と一緒に足を運びました。店内に入るとひげをはやした瓦谷専務が柔かに迎えてくれ、時間を忘れてミニカーの話が弾んだものです。また、大学4年生になった時には都内の貿易会社の就職のことまでお世話いただいた。私が社会人になって何年かしたころ、元町の千代田ママストアにつづき伊勢佐木町のビッグボーイも閉店され、今では伝説となってしまいました。
▲この誌面に登場した名古屋市の芝金中店(うなぎ料理店)とは:
愛知県名古屋市北区上飯田北町2-24、最寄り駅の上飯田駅から徒歩約4分の老舗の「うなぎ料理店」です。電話番号:052-914-2434。Yahoo!グルメ情報によると、「店内は昔からあるような落ち着いた雰囲気がします。よく見ると店内の中に昭和の懐かしい物がひっそりと飾ってあります。鰻とともに肝焼きは絶品です。ご飯の炊き具合もちょうどよかったです・・・。」との好印象の書き込みがあった。専用駐車場も完備しています。
ミニカーマガジン 平成25年5月号/通巻224号
連載第2回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
執筆者: 田中秀明
Rev. May 16, 2013
■ミニカーマガジン 平成25年6月号/通巻225号
連載第3回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
イタリア・トリノから拡がった海外交流
▼この連載第3回の誌面に登場したイタリアのアンティーク&ヴィンテージ専門誌
『TOYS』
:表紙
◆3 languages ( Italian, French, English ), antique vintage toys
review magazine "TOYS", editor by Marco Bossi,
"idea 3". Torino, Italy 1975 - 1977.
出筆者: 田中秀明
▲この2013年6月号の誌面に登場したイタリアのマルコさんの直筆サインです。
四国・高知市とイタリア・トリノ市で海外交流が始まった1975年当時、マルコさんが
出版したマーキュリーのミニカーに関する図書のカバーリング裏面に書かれたご本人の
直筆サイン「私の友人 秀明 へ マルコ 」とあります。
▲この2013年6月号の誌面に登場したサンティエーヌ大学病院ドクターヘリ”SAMU
42”とは:
フランス人医師ガイさんの「空
飛ぶ医師」としての活躍の様子はたくさんのインター
ネット・ サイトで紹介されています。この画像はその一つフランス・ユーロコプター社の
ホームページに掲載されていますが、ご本人のインタビュー記事もあります。
■ホ−ムページ:http://www.eurocopter.com/w1/jrotor/76/samu.html
*Interview
with Dr Guy Francois Jomain
▲
Copyright (c)Eurocopter, France 【著作:仏 ユーロコプター社】
ガイさんが活躍するフランス・サンティエーヌ大学病院のドクターヘリコプター”SAMU
42”
Rev.: Sat. June 15, 2013 by Hideaki
Tanaka
■ミニカーマガジン 平成25年7月号/通巻226号
連載第4回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
世界初のミニカー量産メーカー・トッツィトイ
執筆者: 田中秀明
▲ミニカーマガジン 平成25年7月号/通巻226号
連載第4回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
執筆者: 田中秀明
Rev. : July 1st., 2013
by Hideaki Tanaka
■ミニカーマガジン 平成25年8月号/通巻227号
連載第5回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
マーキュリーは元自動車部品メーカー
執筆者: 田中秀明
▲ミニカーマガジン 平成25年8月号/通巻227号
連載第5回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
■トリノ(Torino)は、イタリア共和国ピエモンテ州にある都市で、その周辺地域を含む人口約87万人の基礎自治体(コムーネ)。ピエモンテ州の州都であり、トリノ県の県都。イタリア第4の人口規模を持つ。都市圏の人口は約170万人。ミラノに次ぐイタリア第二の工業都市です。自動車工業の拠点であり、自動車を中核とする国内最大の民間企業グループ、フィアットの企業城下町として発展した。そのフィアット・オート社の本社及び主要工場がある。そのうちのひとつに著名な世界最大の工場といわれたリンゴット工場があり、近年ショッピングモール、コンベンションセンター、コンサートホール、ホテル、オフィスなどを含む都市型コンプレックスに生まれ変わった。
執筆者: 田中秀明
Rev. : August 25th., 2013
by Hideaki Tanaka
■ミニカーマガジン 平成25年9月号/通巻228号
連載第6回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
日本の郵便は世界一安心
執筆者: 田中秀明
■上記誌面の末尾に登場するジョンさんは近年イギリスのインターネットオークションeBay.ukで知り合った。
彼の所有していたチャドバレー製のヴィンテージミニカーを譲り受けたことから、電子メールと郵便で交流が
始まった。2011年3月11日の東日本大震災のとき、海外からいち早く「無事か? 家族は大丈夫か?・・・」と
安否 確認の電子メールを送信してくれたイギリス人マニアです。小さなおもちゃの「ミニカー」で出来た大きな
繋がりを感じています。
執筆者: 田中秀明
Rev.: October 18th., 2013
by Hideaki Tanaka
■ミニカーマガジン 平成25年10月号/通巻229号
連載第7回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
南国土佐を後にして
執筆者: 田中秀明
■上記ページ【画像左】:イスに座った2人は土井さんと著者、立っているのは左から瀬川、内藤、吉橋、辛川、
今井、平林(いずれも敬称略)のMACJ ミニオートクラブ オブ ジャパンの関東地区のメンバー等。なかでも
辛川君は 京都からの特別参加。この会場は平林君の父上(関東逓信病院医師)の計らいにより、使用できた
スポーツ マン インターナショナル クラブの会議室です。
▲この2013年10月号の誌面に登場したミニカーショップイケダの店内で記念撮影、左からボストン・コンサルティング
グループ勤務山崎さん、店主の池田社長、来日中のウィンストンさん、筆者です。
執筆者: 田中秀明
Rev.: October 19th., 2013 by Hideaki Tanaka
■ミニカーマガジン 平成25年11月号/通巻230号
連載第8回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
夢のヨーロッパに出発
筆者: 田中秀明
▲ミニカーマガジン 平成25年11月号/通巻230号
連載第8回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
筆者: 田中秀明
■上記第8回の連載に登場したジョセさんファミリー(スイス・ジュネーブ郊外のジョセさん宅)
▲この2013年11月号の誌面に登場したフランス・ニース市在住のアレンさんから2013年10月下旬に届いた
アレンさんご本人のスナップ写真、2013年9月21日 土曜日 午前11時にモナコのモンテカルロで撮影した
と書かれています。
現在、アレンさんは御年は73歳になられ、当方が学生時代にフランスでお会いしてから35年が経過しました。
今日も”JAPON”を愛する親日派のフランス人です。
筆者: 田中秀明
Rev.
:November 16, 2013 by Hideaki Tanaka
■ミニカーマガジン 平成25年12月号/通巻231号
連載第9回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
復路はアンカレッジ経由の北周り便
筆者: 田中秀明
▲ミニカーマガジン 平成25年12月号/通巻231号
連載第9回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
筆者: 田中秀明
▲この2013年12月号の誌面に登場したフランス・ルーアン市在住のイボンさんファミリーと筆者
Rev.
:November 27, 2013
by Hideaki Tanaka
■ミニカーマガジン 平成26年1月号/通巻232号
連載第10回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
社会人になってもミニカーコレクション
筆者: 田中秀明
月刊minicar
magazine ●連載 ミニカーコレクションの思い出
高知・東京・海の向こう、コレクターに国境はない
連載第10回 社会人になってもミニカーコレクション
田中秀明(懐かしいおもちゃの自動車博物館)
【テキスト版】
ヨーロッパのミニカー巡りから帰国した夜のこと、川越市の下宿の家主内野さんから「外国から電話よ〜。」と呼ばれた。2日前にお会いしたオランダのミニカー愛好団体オールドタイマーホビークラブ会長エディさんからの電話だった。今でこそ国際電話は特筆すべきことではないかも知れないが1979年当時としては異例であった。30分ほどの通話の後、エディさんの友情が嬉しく涙が流れた。帰国した週末、横浜元町のミニカー専門店サンセットでミニカークラブMACJのメンバーと待ち合わせ、横浜市内でミーティングを開き旅行体験報告をした。参加者にはギリシャ製のポルシェ356やメルセデス300SL、英国ディンキー製ダンロップタイヤスタンドなどを土産として配った。そしてコダック36枚撮りフィルム6本分の撮影写真アルバムを見ていただいた。
1980年、大学生活最後の年は中野区江古田で初のアパート暮らしになり、就活を名目に電話を繋いだが実際は関東周辺のミニカーマニアやスクランブルカーマガジン、ルボランなどの出版社との待ち合わせ連絡に使うことが多かった。また管理人がいる下宿暮らしと異なり、不在が多く海外からの郵便小包はスムーズな受け取りが難しくなった。自由なアパート暮らしを満喫する間もなく会社訪問など就活の日々が続き、東京赤坂の国際会議運営会社の営業マンとして入社した。
1981年8月に国内では初めての本格的なミニカー及びおもちゃの即売・交換市ワンダーランドマーケットがミニカー専門店サンセット主催で開催された。その翌年8月から私はミニカークラブMACJのメンバーと一緒にテーブルを出展した。当初の会場は横浜関内の勤労福祉会館だったが古くて狭い会場はミニカーマニアの熱気であふれていた。MACJメンバーは出店テーブルに割り当てられたイスが足りず全員が座れないため、店番と会場周りを繰り返した。とりわけ一般入場前のディーラータイムは出店者だけで会場を周われる時間があった。テーブルに並べる途中であるか出品して間もない商品の中からから探しているミニカーが見つかることがある。珍品は意外と一般入場開始前に売却されて早々とテーブルから消えていることが少なくなかった。隣合わせや近所のテーブルの出品者あるいは顔見知りのマニアとの情報交換や語らいも楽しみであるが、こうした催事では売り手と買い手が価格交渉やミニカー情報を目前で繰り広げる楽しみがある。会場では戦前のメルクリンの乗用車、大盛屋ミクロペットの箱付きの国産車などの珍品をしばしば目にすることがあったが値札を見て驚いた。人気の絶版ミニカーにはプレミアが付き高騰することは当然であるが、そのプレミアム価格から値引き交渉して少しでも安く絶版ミニカーを手に入れることもこうした催事に参加する醍醐味だと思う。開催地は1995年7月に新横浜プリンスホテルになり、会場となったホテルには駐車場も完備され、ワンダーランドマーケット参加者用の割引前泊サービスもあった。私も何度か開催前日の夕方にチェックインして日ごろお会い出来ない地方のMACJメンバーと深夜2時過ぎまでミニカー談義に花が咲いた思い出である。その後、開催会場は横浜産業貿易センターへ変更されて回を重ねている。
6年間交流して来たニュージーランド・オークランド在住のレンさんが友人アドリアンさんを伴って1982年7月に来日した。宿泊先の東京芝パークホテルを基点に4日間イケダ、グランプリ、サンセットなどのミニカー専門店と横浜山下公園、東京タワーなどの観光地のみならず、夜の新宿の大衆居酒屋にも案内した。集まった落合君、谷口君、三森氏等MACJメンバーと座敷で膝を合わせて酒を飲み交わした。日本のお座敷文化を味わっていただきながらミニカー談義、お酒も入り話しが弾んだ楽しい思い出である。
▲ミニカーマガジン 平成26年【2014年】1月号/通巻232号
連載第10回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
筆者: 田中秀明
▲この2014年1月号の誌面に登場した横浜・元町のミニカー専門店「サンセット」の店内で記念撮影、左はニュージー
ラ ンドから来日したレンさん。中央は店主宇野さんご夫妻。
■ミニカーマガジン 平成26年2月号/通巻233号
連載第11回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
オンライン博物館開設から16年
筆者: 田中秀明
▲ミニカーマガジン 平成26年2月号/通巻233号
連載第11回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
筆者: 田中秀明
▲この2014年2月号の誌面に登場したフランス・パリで開催された「トイマニア」の催事会場の風景(2013年)
■ミニカーマガジン 平成26年3月号/通巻234号
連載第12回 最終回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
故郷の土佐電鉄ボンネットバスを特注トミカに
筆者: 田
中 秀 明
▲ミニカーマガジン 平成26年3月号/通巻234号
連載第12回 最終回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」
筆者: 田中秀明
【テキスト版】 月刊
『ミニカーマガジン』誌 連載 ミニカーコレクションの思い出
高知・東京・海の向こう、コレクターに国境はない
第12回 最終回 故郷の土佐電鉄ボンネットバスを特注トミカ
田中秀明 (懐かしいおもちゃの自動車博物館)
2001年2月に東京ビッグサイトで開催された東京ギフトショーのJETRO関連ブースの会場通訳を私の会社が業務委託されていることもあり、この国際見本市会場を回っていたところトミー(現タカラトミー)の展示ブースに足が止まった。TOMICA
トミカ6-2番の1/110いすゞBX系ボンネットバスをベースにした神戸市交通局などの特注トミカがサンプル展示されていた。それを見た私は会社の創業15周年記念品はトミカを創ろう、モデルは故郷高知県の土佐電鉄バスが最適だと思った。従来記念品はテレフォンカードやボールペン等を採用していたことから、他の役員は反対したことは言うまでもない。だが故郷高知の庶民の足として走り続ける土佐電鉄への愛着心と当時はレトロブームということもあり実現へと動いた。
同年5月トミーの営業マンが来社され打ち合わせ開始。費用見積もりは市販トミカより格段割高であるが何より細かい塗装やタンポ印刷表示等のオリジナルデザインが注文出来る利点が大きい。方向幕は高知の観光スポットである「はりまや橋」と表示したが実際は「とでん会館」が昔のバスターミナルである。またホイールは実車が小豆色であることから銀メッキは使用せずトミカの消防自動車用の赤茶色を転用した。またパッケージ箱は高知県のPRを兼ねたデザインである。同年6月には父に連れられて高知市桟橋通りの土佐電気鉄道本社へ訪問して徳橋専務と面談。土佐電鉄ボンネットバスの著作権、デザイン資料提供、監修をお願いしていずれもご承諾、協力をいただいた。父が専務とは高知県庁勤務当時から親交があったことからスムーズに話が進んだ次第である。
6000台を発注。同年8月試作品が完成。同年11月末待望のミニカーは50個ごとダンボール箱に梱包されて120箱が届いた。早速社内では手分けして得意先の国土交通省等の官公庁、企業の皆様へ創業15周年記念品として無料配布した。社員がミニカーを持参したことに一部呆れた顧客もいたことは事実だが、概ね大好評で高知県の話題性に飛んだ記念品となった。また雑誌モデルカーズ誌に紹介されたこともあり、一般のマニアからも反響があった。古くからバスのミニカーコレクターとして著名な和光市の町田さんは来社されこの出来の良さを褒めてくださった。また得意先の研究所にお勤めだった経済アナリストの森永卓郎さんからは特注トミカのお返しにご自分の著書を頂いた。当時この特注トミカは一部がミニカーショップイケダなど都内専門店や高知市の吉岡模型店でも限定販売された。
それから10年忘れもしない2011年3月の東日本大震災のときは海外交流の相手から次々と安否確認の電子メールが届いた。今や世界各地の出来事は瞬時に世界を駆け巡るが一日本人の命を気遣ってくれることに感謝した。人はいろいろな出会いがあるが、ミニカーマニアも同様である。私の場合は1970年代初頭の雑誌ホビージャパンやミニチュアカー誌(本誌の前身)の読者交流欄が切っ掛けで文通やミーティングが始まり、海外交流及びクラブMACJ結成へと発展した。小さなおもちゃのクルマが世界を繋ぎ、言葉や文化が異なる人々とミニカーの楽しみを分かち合うミニカーコレクションは素晴らしいと思う。高知西高校1年生だった少年は今56歳のオヤジであるが今後もミニカーをマイペースでコレクションして行きたい。
最後に絶版ミニカー2台を紹介する。前者は1975年元旦の滞在先名古屋の芝原秀夫さんから贈れたホワイトメタル1973年製1/43アドラー1938。後者は今週届いた英国メットトイ1948年製870番モーリスZバン、全長約15cm、後部扉開閉、ゼンマイ駆動内蔵、少々傷や経年劣化が気になるが味がある。英国のマニアと電子メールで交信して6日後には手元に届く便利な時代になったと思う。一年間のお付き合いありがとうございました。
(ミニカーマガジン 平成26年3月号/通巻234号より)
▲この2014年3月号の誌面に登場した特注トミカの土佐電鉄ボンネットバス
▲同じく2014年3月号の誌面に登場した特注トミカの土佐電鉄ボンネットバスと梱包ダンボール箱
▲同じく2014年3月号の誌面に登場したホワイトメタル製1/43のアドラー1938年式ジュニアー(前方から)
▲同じく2014年3月号の誌面に登場したホワイトメタル製1/43のアドラー1938年式ジュニアー(後方から)
▲ミニカーマガジン 平成26年3月号/通巻234号
連載第12回 最終回 「高知・東京・海の向こう コレクターに国境はない」 掲載オリジナル画像より
筆者: 田中秀明
Rev.
: March 8., 2014 by Hideaki Tanaka
■本日、ゆうパックで届いた英国・DINKY
TOYS No.182 ポルシェ
Rev.:2017年12月20日(水曜日)
冬季は時間があれば、小さなタブレットPCでなく、自宅書斎にある大きなパソコン・モニターでfacebookの友達のページを観たり、Yahooでミニカーの取引状況を眺めています。たくさんの出品ミニカーに「ウオッチ」を付けてそれぞれの取引を閲覧していますが、実際に購入する商品はその極一部です。
このところ、週によっては英国やフランス等の海外から入手するよりも国内「ヤフオク」の落札数が多いこともあります。
最近、TEKNO、DINKY、MERCURYなどの海外ブランドについては、概ね日本国内(ヤフーやメルカリなど)が安いと思います。昔、横浜の専門店「千代田ママストアー」でDINKY
TOYS No.30a クライスラーが10万円、同 No.36b ベントレーが3万円で販売されているのを観たことがあります。私自身は専門誌「ホビージャパン」の読者欄に載っていた大阪のプロ・マニアからQUIRALU
ロールスロイスを78,000円で購入した想い出があります。今から半世紀近く前のお話しです。その後、私が15歳のとき海外のミニカーマニアと交流が始まり、私のコレクションは少ない費用で珍品が入手可能となり、様変わりしました。
さて、お話しはYahooオークションに戻ります。今月も十数台のミニカーを落札しました。その大半はリピーターの出品者さんからです。そんななか「DINKY
No.182 ポルシェ」がゆうパックで届きました。当初5,000円であればと思っていたところ、以外にも3,550円で落札出来た。入札が少なかったことかライバルが登場しないで終了しました。
実は、これは冒険的要素が大きい出品商品だと感じました。水色ボディはピカピカの無傷な状態にも関わらず黄色いホイールやタイヤは傷だらけで不自然な状態に見えました。しかも写真は2枚のみ。出品画像が2コマと少ないだけでなく、商品説明が乏しい、その割には取引や発送等の文字列で埋められていました。不安要素が多い商品でしたが、ヤフーオークション「評価」にマイナスがない出品者さんでしたので入札をしました。
▼実際に届いた商品は、次の通りです。
◆出品画像には写っていなかったブリキの裏板のカシメの盛山が削り落とされていました。ボディーと底板はリペイント。ボディーと底板は接着剤で留まっていました。前後バンパー等の銀色の吹き付けは筆塗のリペイントでした。
▲出品者さんのご厚意により、最終的には1,800円を減額して頂きました。
ただ、ヴィンテージ・ミニカーのマニアとしては、裏板のカシメを剥ぎ取りリペイントしたものより、例えボロボロでもオリジナルが欲しかったです(^^♪
▲ご参考までに、直ぐ上の画像は同じく英国・DINKY
TOYSの同年代の製品の底板のカシメ部分です。オリジナル品のカシメは丸い盛山状で、中心が丸く凹んだ形状です。
以上、皆様のご参考になれば幸いです。
Rev.:December 20, 2017
|