高知県の中西部の吾川郡伊野町(現・いの町)の清流、仁淀川沿い、世界各地から外国人が訪れる民家があります。
 2001年(平成13年)に文化庁から重要無形文化財 「人間国宝」として認定された濱田幸雄 (はまだ さぢお)氏の自宅兼作業場です。田中技研インターナショナルの田中社長の母方の実家であり、母のお兄様。先日、高知の父と一緒に立ち寄った日も外国語で印刷された名刺やカード、お土産でいただいたという外国の小物やお菓子が置いてあった。
 小生(田中)から観た伯父の「人間国宝」濱田伯父さんは、決して気取ることない楽しい気さくな伯父様。小生は小学生時代、毎週週末ともなると一人高知市内の自宅から「赤バス(高知県交通)」のボンネット型バスに乗り、遊びに行ったものです。そして、高知西高校1年生のときには夏休み研究課題は伯父に手伝っていただき「土佐典具帖紙のルーツ」を書いた思い出がある。
 今や伯父はテレビに新聞、雑誌等に頻繁に登場する文化人だが、この手漉き和紙を守るために長年節子夫人と共に大いに苦労された。現に伯父と叔母はいつも休みなしに働いてこられた。
・画像は平成15年4月号の月刊「文藝春秋」の連載グラビア:日本の宝は濱田幸雄氏。
 
月刊文藝春秋のグラビア「日本の宝」に掲載された濱田氏

 「カゲロウの羽」に例えられる土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)は、極めて薄くて丈夫で非常に柔らかい手漉き和紙。上質の楮を原料に、丁寧に下準備をして不純物を取り去り、長い繊維を絡め均質で薄い紙を漉く。明治13年、いの町の手漉き和紙中興の祖・吉井源太の指導の下、同町神谷(このたに)の勝賀瀬亀太郎が漉き始めた。
 その後、海外の博覧会に出品し、タイプライター用紙”Tosa Stencil Paper”として高い評価を得て、高知県いの町で生産する全てが海外に輸出されるようになったいの町で、天保6年  (1835年)から紙を漉く濱田家の次男坊に生まれた幸雄(さじお・71歳)さんが、戦傷した長兄の代わりに父である濱田秋吾氏から紙漉を薦められたのは、一時中断していた輸出が再開された昭和25年ごろ。当時、商船学校入学まで決まっていた氏だが、数人の紙漉職人を雇い入れて紙漉をしていた濱田家の跡を継ぐのに躊躇はなかった。「おやっさんや職人よりえい(良い)紙を漉かんといかん」と自分に課した氏は、昔ながらの基本を自分流にアレンジし、「自分の紙漉」を確立するのに時間はかからなかった。
 「あいつは水に負けん」と職人仲間を感嘆させた氏の紙漉は、激しく水を動かし、繊維が溶けきらない固まりが付かないようにする。簀桁(すけた)の水は60センチほどの高さに跳ね、その写真を見た人が驚き「びしょ濡れで紙を漉きゆう」と言ったほど。6年ほどで誰にも負けない典具帖紙を透けるようになったころが、まさに典具帖紙をはじめ手漉き和紙の全盛期だった。
 いの町内には200軒の手漉き和紙業者があり、約500人の職人がいたという。伯父が住むいの町神谷から同町加田にかけても集落の9割ほどの家が自家で典具帖紙を漉いたり、紙漉の作業場に勤めたりしていたという。そのころは0.03ミリの普通の典具帖紙は薬液加工した上で海外向けタイプライター用紙に、それより厚い「中厚口」と「厚口」はコーヒー豆の焙煎用フィルター(ろ過紙)に加工されていたという。 
 全盛を誇った典具帖紙も、機械漉きの西洋紙に押され紙漉は激減した。いの町内で2軒ほどが典具帖紙の機械漉きを始めるが、元々全てを輸出の紙だけに、いくら薄くて丈夫であってもそれに見合う需要は限られたもの、その特性を生かした使用先は重要文化財の修復作業などに限られたものだった。 1971年(昭和46年)に6軒あった土佐典具帖紙の手漉きの生産者も、結局、1973年(昭和48年)には伯父一軒だけとなる。

 
清流「仁淀川」が土佐典具帖紙を育む
 そんなころ繊維が長い典具帖紙には不可能と思われていた「透かし」を入れる注文が京都の問屋から入ってくる。持ち前の研究熱心さと困難に果敢に挑戦する伯父は僅か2カ月で難問を達成する。その折り何度か打ち合わせに出向いた問屋で、色付きの和紙を目にする。
 真っ白い典具帖紙しか知らなかった氏に、京都の紙問屋の専務取締役が染色和紙の製造を勧める。
 
土佐典具帖紙の厚口・顔料染め作品
 伯父は「神谷で生まれた土佐典具帖紙は自分が守る」と心に決めていた、手漉き典具帖紙を存続させるるために、「透かし」でも共同研究した高知県紙業試験所の後押しもあり、誰も成功しなかった「顔料染め」の技術を確立する。
 その伯父の染色和紙に惚れ込んだ「ちぎり絵作家」の亀井健三先生は、細々と紙を漉きそれを染め、日常は家族の生活のため建設用重機のオペレータや仁淀川の鮎漁師をしていた伯父に「三年間辛抱してほしい。その後きっと濱田さんのこの紙の良さを世に知らせます。」と語った。その約束は守られたが、20021224日、お世話になった亀井先生は84歳の生涯を閉じた。
 現在、日本全国各地に門下生2万人以上のちぎり絵サークルで伯父の色染め和紙が使われるまでになった。
 
孫の洋直さんと和紙を漉く作業場
 伯父はしきりに「白い典具帖紙で人間国宝に指定されました。皆さんのお陰です」と語る。
土佐典具帖紙のように繊細だが強く柔軟な精神を持つ伯父は、長年の人生のパートナーである妻の節子夫人、孫の洋直(ひろなお)さん等と共に土佐典具帖紙を今日も守り続けている。
 
土佐典具帖紙(無地白)
 
土佐典具帖紙(色紙)
 高知市にある高知県立美術館のミュージアムショップで販売されているセレクトした「白の10枚セット」紙のサイズは縦(約)55cm・横(約)40cm、そして「色紙20枚セット」紙のサイズは縦(約)27cm・横(約)20cmの逸品です。紙のサイズは、いずれも数ミリ単位異なります。
 
米国・ボストン美術館の所蔵品の修復に使用

 土佐典具帖紙はギリシャ・ローマの古代地中海文明の遺跡の修復作業に広く用いられてきた。また、日本を含め世界各国の絵画や書物など美術品を所蔵する米国マサチューセッツ州ボストン市にある"Museum of Arts, Boston(ボストン美術館)"では所蔵する重要な江戸時代の「浮世絵」や「古文書」の修復には、浜田幸雄さんの「土佐典具帖紙」が使われてきました。 
 このように和紙のなかでも取り分け、薄くて強い「土佐典具帖紙」は、これから何世紀にもわたり、世界各地の美術館や博物館で日本や世界の美術品・文化財の命を吹き込みつづけることでしょう。

                                                 (C)Museum of Arts, Boston 

 
週刊朝日百科「週刊人間国宝」63号に掲載

 2007年(平成19年)819日号・発売、週刊人間国宝63号に重要無形文化財「土佐に息づく極薄・透明の羽」土佐典具帖紙・濱田幸雄として掲載された。
                            (C)朝日新聞社・定価560

 
外国からの客人のために英語&フランス語リーフレットを制作

 世界各地から伯父の作業場を訪問される客人から「英語版のパンフレット・リーフレットはないのか?」とのご要望に応え、作成された英語・フランス語に翻訳したリーフレット。
 2008年(平成20年)翻訳&制作したのは田中技研インターナショナル・翻訳編集デスク。
                                  
(C)TGI Corporation

 
平成23年6月18日付けで発表された春の叙勲で*旭日小綬章*を受賞

 2011年(平成23年)6月18日・土曜日の読売新聞・高知版(朝刊)に『まちの宝守り抜いた 土佐典具帖紙浜田幸雄 80歳』の見出しで「春の叙勲 旭日小綬賞」受賞を報じた記事です。写真は高知県いの町神谷の自宅で撮影された。今や全国に数人の弟子を抱え、この家業の4代目には約10年前に孫の洋直さんと治さんが継いだことも報じています。
     (C)讀賣新聞・高知  新聞提供:YC読売センター伊野店長 松本孝次様より

                                 

                                                     協力:  濱田 節子さん
                                             Rev.2001-2011年:
  田中 秀明

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