本日・9月20日は弊社の創業記念日(法人登記は11月10日) 2018年9月20日(木)

   この掲載写真は、今私が代表を務める田中技研インターナョナル創業の原点とも言えるインター
  グループの東京支店(当時港区赤坂8丁目の山勝真珠ビル7階)時代の記念写真です。
  前列左側 から得意先日立製作所習志野工場ロボット設計部の稲葉主任、同設計部の岡技師、
  そして二列目 左側から当時上司の翻訳営業部森本部長、私田中(○印)、契約翻訳者の竹内さん、
  翻訳営業部高倉さん。




  私は入社した昭和56年の10月に先輩のベテラン翻訳営業マンの村田さんが国際会議部へ異動
  したことに伴い、突然最大得意先 「日立製作所」 の翻訳営業を任されました。主に毎週月曜日・
  木曜日は習志野工場(京成 電鉄実籾駅下車)、 毎週火曜日・金曜日は神奈川工場(小田原線
  渋沢駅下車)と小田原工場 (東海道線国府津駅下車)の各顧客訪問を繰り返しました。この合間
  には戸塚工場、ソフトウエア工場、海老名工場や丸の内(本社)、 日本ビル(商品事業部)なども
  掛け回りましたが、新たに武蔵工場、日立マイコン(小平市)、日立家電なども資材部取引コードを
  取得して新規開拓・受注することが出来ました。

  ただ、営業担当には翻訳する能力は必要としないながらも産業技術のドキュメントや図面の英文化
  に当たり、 その依頼原稿のテクニカルターム(専門用語)や固有名詞、版下、作業工程の確認、
  顧客の希望納期等を聴き取ることが必要となる。これを先輩の同伴はなく、自分一人で対応する
  ことになりました。

  案の定、初めて訪問した習志野工場のロボット技術センター榎本センター長から受注して会社に
  戻ると上司の森本部長に呼ばれた「電話があってな、田中みたいな新人でなく、もっとベテランを
  寄越して・・・」とのクレームが あった、と似や笑いで告げられたが、「最初は誰も新人やからな・・・」
  で話は終わりました。その翌年には仕事も徐々に慣れ、先輩から受け継いだ日立製作所に加え、
  新たに新電元工業、大興電機製作所、神田通信工業、 日本太洋海底電線、自動車機器、バンダイ
  などのメーカーを次々と新規開拓し、入社3年目の夏にはボーナスとは別に当時の小谷社長から
  最優秀社長賞10万円を受賞するまで至りました。これはご愛顧頂いたクライアント様をはじめ、
  同僚や翻訳者やデザイナーさんなどほんとうに多くの皆様のお陰で達成出来ました。
  インターグループ東京支店勤務のサラリーマン時代の経験や人脈は、その後の弊社のマネージ
  メントに大きく活かされています。 (掲載: 2018年9月20日・木曜日)

▲この写真は入社2年目・1982年にインターグループ東京支店の応接室で同僚が撮影。

 


 
《元国際会議部 本部長》
       榎 憲昭さん死去  
2018年6月

  元役員の榎憲昭さん(1957年6月6日・大阪市生まれ)が入院先の
 大阪の病院で亡くなられた。享年61歳。同志社大学の学生時代から田中
 代表と親交があったことから、榎さんは1994年から1997年まで弊社の
 国際会議部長・常務取締役・専務取締役を務められ、弊社発展に尽力さ
 れました。
  千代田区二番町の「相互二番町ビル別館」オフィス時代には新卒試験の
 面接試験管や社員研修会の進行役、また営業面では杉山係長と共に日本
 生産性本部の海外研修通訳業務を受注するなど活躍をされました。
  また、1995年1月17日の早朝に発生した阪神大震災では、その当日社長
 の 命を受け榎さん自ら運転するスバル・レガシーの車内とトランクに搭載
 出来る最大限の食料物資を買い込み、被災地の神戸市三宮に住む翻訳者坂本
 さん 宅に向かったエピソードもあります。

  榎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。(合掌)



 写真:左から田中代表・(故)榎 元専務。 【東京都練馬区光が丘の田中宅にて撮影】



    ●2014年6月●  お礼に買ってくださった一杯のコーヒー
 
            
セブンカフェ

            
     6月20日(金曜日)

    先週のこと、練馬区在住のフィリピン女性から流暢な日本語で 「今、 私は
   光が丘警察署の前にいるけど・・・。」という電話が架かってきた。正直な ところ
   最初は驚きました。練馬区役所へ手続きに行ったところ、東京の在日フィリピン
   大使館が発行した英文書類2枚を日本語に翻訳する必要がある、とのことだ
   った。 早速、その依頼人とお会いしたところ、弊社のことは、警察署の方が親切
   に教えてくれたとのことでした。

    
弊社は通常、官公庁や企業の法人向けのしかも技術系翻訳サービスを展開
   していますが、時々板橋区役所や練馬区役所の職員から紹介されたという外国
   人女性あるいはご主人さん(日本人)から国際結婚に関係するさまざまな公文書
   の依頼があります。それも1枚、または2枚ですが、記載された固有名詞の確認作
   業や汚く手書きされた判読不明箇所の調査など、決して高度な難しい内容では
   ないもの翻訳作業に要する時間は少なくありません。しかし、ご依頼人が一般個
   人でしかも経済的に厳しい状況であるケースが多く、採算が取れないのが現状で
   す。国際結婚をされ、日本で暮らそうとされておられる、しかも練馬や板橋区 など
   弊社の近隣にお住まいの外国人のためにお役に立てたら嬉しいことです。

    前置きが随分長くなりましたが、今回のフィリピン人のご依頼から4日後に翻訳
   の成果品、弊社の翻訳証明書をお届けするときのことです。ご依頼人の自宅が
   幹線道「笹目通り」から入り込んだ所にあることから、そのご自宅に近いセブン イ
   レブンの駐車場で待ち合わせしました。雨が降るなか私のクルマで納品を終えた
   ところ、ご依頼人のマリア様は「(セブイレブンの)コーヒーを飲みますか?」と声を
   かけてくださったが、私は「いいです。コーヒーはいいです。この度はご依頼ありが
   と うございました。」と返答したところ、マリア様は笑顔で私のクルマから出ていか
   れた。
   
    そのあと、2〜3分後にそのセブンイレブンの駐車場を出て会社へ戻った。それ
   から、 20、30分後のことマリア様から電話があり、「私、(セブンイレブンの)コー
   ヒー持っ て店を出てきたら、田中さんのクルマはもういなかったのよ。」 とのことで、
   つまり 私との言葉のやりとりで、私が言った 「いいです。 いいです。 ありがとうござ
   いまし た。」という 返答を「コーヒーをいただきます。」 と理解されていた訳です。
   私の言葉足らずの 返答が招いたミステークでした。

    セブンカフェは一杯100円(レギュラーサイズ)とは言え、とっても残念そうに電話で
   話されるご依頼人に申し訳なく思いました。ただ、電話の終わりには「ありがとう。」
   という言葉をマリア様からいただき、ホッとしました。 

                                        田中秀明
H26/06/20



2010年9月●  42年振りのお買物
 
            
東京神田・科学教材社さん

            
     10月11日(祝日)

 私は小学5年〜6年生の当時、郷里である高知市の朝倉にある久保塾という個人経営の塾に通っていたときのことです。私の家は路面電車「土佐電鉄・いの線」の沿線ですが、その隣の停留所近くに住む戸田君と趣味が同じだったことから、塾の帰りは一緒だったことが多い。塾の最寄の停留所は「曙町東町」でしたが、僕たちは隣の駅「曙町」またはその隣の「朝倉大学前(高知大学の正門)」停留所から帰路につくことが多かった。

 夜9時、電車通りに面したナショナルの看板がある小さな電気店に立ち寄った後に電車に乗るためでした。私も戸田君も手書きの増幅アンプやラジオなどの回路図を発案して持ち込み、無料でご指導いただいた。今、思うと朝8時に小学校に登校してそのまま塾に行き、よくぞ閉店後に残業している電気店に押しかけたものだと恥ずかしくなります。10歳、11歳のこどもだったから出来た図々しいことだと思いますが、何よりもこどもには優しい電気店さんだったからお相手していただけたのでしょう。

 こうして、高知市・曙町の電気店の店主からアドバイスを受けた回路図をもとに(受験勉強の合間?)実際にアンプやラジオなどの製作を行うわけですが、高知市・大手筋の日曜市で中古ラジオを買ってきて部品を取り外すか、あるいは当時、高知市旭町にあった大型家電量販店「エイコー」の2階パーツセンターで部品調達しました。それでも入手出来ないパーツは専門誌「初歩のラジオ」、「模型とラジオ」など掲載広告で知った東京・神田の『科学教材社』という会社へ注文した。高知市・朝倉郵便局から現金書留でお金と手紙(今で言う注文書)を郵送した。携帯もインターネットもない時代です。いつも丁寧に梱包され、お礼の手紙付きで商品が郵送されて来た想い出の『科学教材社』です。この会社さんは、特に高知県など地方の田舎に住む子供への科学技術の啓蒙普及に大いに貢献した功績は多大なものがあると思います。

 それから42年が経過した先日・9月29日、ある模型パーツをインターネット検索サイトGoogleで探していたところ、この『科学教材社』が検索されて出た。今まで営業を続けられていることに大変嬉しい気分になりました。今回、とっても懐かしい思いで42年振りの注文はインターネットサイトから、代金は銀行振込しました。そして、440円の注文品は在庫切れのご連絡を頂き、再入荷後の10月8日に丁寧に梱包されて届いた。注文から配達まで「Re: 科学教材社です」というタイトルの連絡メールを6回受信しました。時代は変わりましたが、今日も変わらぬサービスに頭が下がりました。

 年々昔ながらの部品の入手が難しくなりつつある現在でも、えぇーこんなものを未だ扱っているのかと感心してしまう、往年のさまざまな部品やキットを供給し続けている東京・神田の『科学教材社』です。皆さまも一度、老舗『科学教材社』のホームページ<http://www.kagakukyozaisha.co.jp/>を覗いて見てはいかがでしょうか.

                   

H.22/10/11


  《青春グラフィティー》
  思い出の歌「恋のスケッチブック  
6月13日(土曜日)
 
  週末の自宅書斎の整理をしていたところ、20年前に当時私が
 代表世話人をしていたサークルの会員名簿が出てきた。




 ▲サーモンピンクのA5サイズ印刷物

 このサークル名『PHP友の会ぱれっと』。どこの本屋さんでも売っている小さな雑誌・月刊『PHP』誌の読者の会の会派。時々、京都にあるPHP研究所(本部)の事務局長も視察に来られた。行事には松下政経塾生(現在、衆議院議員)も参加していた。会員だけでなく、会員の友人や職場の同僚等もやって来ていた。

 関東一円の20代の勤労青年を中心に1980年代、ピーク時には男女60名ほどのメンバーがいた。毎年春には会員名簿を更新した。名簿の裏には「恋のスケッチブック」という会のテーマソングが掲載されていた。

(実際の楽譜は全て平仮名)
  愛する言葉の 意味を 
  そっと 教えてくれた 
  都会の冷たい 季節が
  心 優しく見えてくる 恋の
  スケッチブックは 真っ白な スケッチブックで
  出会いの色と コンストラクトが ぱれっとのなかで 
  回り 回り 始めて さあ船を出そう 
  真っ白な 船を出そ コバルトの
  水彩絵の具で 染めて静めて いつかあなたの
  元へ − 


 今、この歌の詩を口ずさんでも素敵な詩だと思う。
この歌の作詞・作曲は当時この「PHP友の会ぱれっと」のメンバーでもあり、また弊社の得意先の通信機メーカーの係長(現在は部長)さんによるです。

 この会の発足当初は新宿駅東口の「談話室滝沢」の個室に20人くらいがテーブルを囲んだ。その後、会員数の増加に伴い30人、40人が収容出来る渋谷区勤労福祉会館や中野サンプラザの公共施設を格安で借りた。
 二次会は会場近くの「すずめのおやど・中野店」などの居酒屋が定番。
 とっても真面目なメンバーが集った。看護婦、銀行員、幼稚園の先生、警察官、公務員、会社員、OLなどの勤労青年のサークルだったが、気の合う者は親友になったり、一生の伴侶を見つけたようだ。会の代表として会員同士が結ばれる度に結婚披露宴に呼ばれた。
 現在、このサークルは会合やリクレーションなどの活動は停止している。メンバーの多くがお父さん、お母さんになった。私も50代のオヤジになった。
 今でも会員の一部の方からは年賀や便りがやって来る。長年勤めた神奈川県の中学校を副校長として定年退職された後も教育現場で再チャレンジされている人。郷里で事業展開されている人・・・ただ、必ずしも嬉しいお便りだけではなく、離婚した人、田舎に帰ってみたけど定職に就けない人・・・いろんな境遇で暮らしているメンバー。もちろん、音信が取れなくなった人もいるけど、きっとそれぞれのスケッチブックにパレットで豊かな人生を描かれていることを願っている。



H.21/06/13

 今月の連休は中国・上海へ向かう・・・・・・・・・・・・・・
             10月11日〜14日(土曜日〜火曜日)


 10月の連休の初日、11日(土曜日)、東京・練馬の自宅を早朝6時20分慌しく出発、午前の便で成田空港から上海浦東空港へ飛びました。
午後2時40分(日本時間:午後3時40分)インターネットで予約していた上海市内の新錦江タワーホテルにチェックインしました。お部屋のルームサービスは満足出来る快適なホテルでした。ちなみに、このホテルは前回宿泊した花園飯店の直ぐ近所です。【画像:右側のタワーは、今回の宿泊先
新錦江タワーホテル



 ホテルに荷物を置いた後、タクシーで繁華街南京西路の上海翼風模型有限公司を訪れ、帰りは街を散策しながら徒歩でホテルに戻りましたが、近所に地元のマッサージ屋の看板を見つけ、電話で予約の有無や料金を確認しました。夕刻、時間の都合で30分コースの頭と上半身のみのマッサージを受けましたが、「あなたはとっても体が疲れているから1時間30分やった方が良いけど・・・」と言われました。一緒に行った弊社の会長は「下手でも上手くもなく普通の腕前」との評価でした。夕刻6時過ぎから、上海の親族主催の歓迎ホームパーティーがあり、盛大なご馳走と美味しい紹興酒を頂きました。

 滞在2日目の朝、ホテル最上階の回転展望レストランで朝食をとり、タクシーで豫園(よえん)へ移動。外灘と並ぶ上海2大観光スポットのうちの一つです。豫園で昼食後、タクシーに乗り込んだところアクシデントが起きました。前方の助手席に一人、後部席に三人乗車したのですが最後に乗り込んだ私の片足を入れたドアが開いた状態で、何とタクシーは発車してしまいました。もう少しでもう一方の足を後輪で踏み潰されそうになりました。数メートル先で急停車したタクシーに乗り込んだ後、運転手に抗議したところ「警察が来たので急いで発車したのだ。」との反論。バックミラーをしっかり見ろと、言い返したが反省の気配は全くなかった。

 上海のタクシーは(東京の物価感覚だと)安価で気軽に乗車する訳ですが、とにかく運転が荒く、そのうえ必要以上に猛スピードで車線変更を繰り返していると思います。先に書いたのですが、上海浦東新区・陸家嘴金融貿易区の路上で(メタリック・ライト・グリーン色)のタクシーに乗車したときも同様のアクシデントが起きた。

 滞在3日目の朝は、新錦江タワーホテルの近所の地元レストランで朝食、ホテルの一人分の料金で四人の朝食が出来た。国際的ビジネス街に大きく発展している上海浦東新区・陸家嘴金融貿易区に、森ビルが手掛ける「上海環球金融中心」(Shanghai World Financial Center)を訪問。



 地上101階、高さ492mの超高層ビルは、ショッピングモール、オフィス、会議室、ホテル(パークハイアット上海)、展望台等で構成されます。100階に設けられる展望台は、地上472mで世界最高所の展望台となり、大きな話題を呼びそうです。又、97階には、空中に浮くような展望ブリッジも設置されます。床にも下界が覗けるガラス窓がありました。【画像:床の覗きガラス】



100階のこの展望台の入場料は大人1人100元(約1,500円)でした。同地区に聳え立つ"テレビ棟"が遥か下の方に見えました。【画像:展望室から上海テレビ棟を観る】



 午後、上海の観光スポットの一つ新天地のカフェでコーヒーブレーク後、渋滞のなかタクシーで住所のメモだけを頼りに静安区万渡航路にある貿易会社"上海 サンワード トレーディング"を訪れ、朱総経理(社長)と商談した。夜6時、繁華街南京路のレストランで上海の親族へのお返し夕食会を開きました。店に入ると驚いたことにレストランの前方にはお立ち台があり、結婚披露宴の真っ最中でした。一般客と一緒になって結婚披露宴をすることは日本では考えられないのですが、こうしたことは上海や香港で度々ありました。マイクや音楽の音声が喧しく、同じテーブルの人の会話も途切れがちになります。ただ、お目出度い結婚披露宴の会場に全く関係がない私たち一行が同席して食事会をしているのもまた愉快なものだと思いました。

 滞在4日目、10月14日(火曜日)私と会長の2人だけ、仕事の都合により、お昼の便で先に帰国しました。【画像:上海の空港・搭乗機】



 夕刻、成田空港からリムジンバスとタクシーを乗り継ぎ帰宅しましたが、東京の道路を走っていて安心感でホットしました。

 上海は一般の乗用車もタクシー、バスも怖いほどに勢い良く、荒く走り、交差点を歩行者が歩くすき間をクルマがわが者顔で突っ込んで来る危ない街。クラクションを乱発する煩い道路。交通量の多い3車線の車道を平気で渡る命知らずの歩行者たちが多いこと。人もクルマも猛スピードで動き、開発が進む中国『上海市』を体感し、いい意味で刺激的でした。私にとって中国・上海は、フランス・パリと共に大好きな都市です。

H.20/10/17


家族揃って故郷・高知へ帰省・・・            【伯父の人間国宝:濱田幸雄さん(画像:右側)と】   
             9月15日(敬老の日)



 台風の動きが気になる日曜日と敬老の日の連休を利用して郷里・高知へ帰りました。東京・羽田空港から高知・龍馬空港までは1時間15分のフライト。行きの機材は旧型のMD-90というJAL機、ただ内装はリフォームされて綺麗です。
高知空港には父がクルマで私たち一行を迎えに来てくれた。空港を後にし、(父のお勧め)高知市内の豚カツ料理店"かつれつ亭"で昼食後、高知市朝倉の実家へ、そして小高い丘の上に眠る母のお墓参りに行きました。高知滞在2日目は、小雨の降るか、いの町神谷(このたに)・仁淀川の畔にある伯父(和紙の人間国宝)の家を訪問しました。叔母の節子夫人と懇談していると間もなくして伯父・濱田幸雄さん〔上側の写真:右〕が戻ってきました。当年77歳、お元気で活躍されている。相変わらず、取材先の出版社等から沢山の出版物や礼状が届いていました。

自宅に隣接する紙漉き場に立つ人間国宝の後継者・孫の濱田洋直(ひろなお)さん〔上側写真:右〕、当日は祝日でしたがお仕事をされていました。今日は最初、厚めの紙を試し漉きした後、だいたい200枚の土佐典具帖紙を漉くとのことでした。

 伯父の家を伺った後、クルマで西に約10分、いの町勝賀瀬の「食堂あおぎ」でランチをしました。当店のお奨めは日替わり定食ですが、この時期当店には今が旬の上海蟹がありました。目の前の仁淀川で獲れた上海蟹は1つ500円という安さ。高知で上海蟹を目をしたのには驚きでした。そして、何よりも当店のベランダから見渡す仁淀川は絶景でした。下の画像は小生、小雨の降るなか「食堂あおぎ」のベランダから撮影したものです。

 東京へ帰る日、実家から朝倉の高知大学前まで父のクルマで送ってもらい、空港連絡バスに乗車、50分で高知空港に到着。出発ロビーで東京への土産を購入。私は『龍馬がゆく』という菓子、家内は(高知みやげの定番とも言える)和菓子『土佐日記』を買った。
 帰りの搭乗機はJAL/新型B-737-800だった。家族で並列に座席が予約出来なかったが離陸前に通路を隔てた家内の横の座席の人が後ろ側の空いてる座席に移動したので「すみません。そこの空いた席に移っていいですか?」とキャビンアテンダントに問いかけると「機体のバランスの関係で離陸後、水平飛行になってからでしたら」と理解し難い返事が戻ってきた。180人乗りの航空機の乗客一人が予約席から一列分移動するとJAL機はバランスを失う内容です。結局、家族の横には移動せず、羽田空港に着いた。気象の影響でいつもより機体は揺れた。
 南国土佐を後にして33年、いつも故郷・高知は暖かく迎えてくれることに感謝しつつ、東京の自宅へ戻りました。

H.20/09/15


  《初めて尽くしの土曜日》
   ベトナムのフェンさんと東京観光  
8月2日(土曜日)

土曜日の早朝、練馬区の自宅を出た私は、6月に開通して間もない東京メトロ副都心線を使って、はじめてピカピカの新宿三丁目駅に降り立った。乗車駅の地下鉄成増駅からは約20分、便利になった。ただ、最近の地下鉄駅はプラットホームから改札口、地上の出口に辿り着くには結構遠い。後から開通した地下鉄ほど深層地下にトンネルを掘らなくてはならない事情を考慮すれば、仕方がないですね。出来立ての綺麗な駅は気持ちがいい。

先頭車両方向のエスカレータを上がり、E8番出口を地上に出ると目の前は高島屋デパートだった。ここに出て来るんだと関心しながら、またまた本日初めての(JR新宿駅)新南口1階奥のJR高速バスターミナルへと向かった。朝7時50分到着、狭い待合室の奥は薄暗い停留所だった。朝8時に出発する東京ディズニーランド行き直行バスに乗るお客さんが居たぐらい、朝早いこともあり閑散としていた。いつも車で走る明治通りのすぐ横の目立たず、薄暗い高速バスターミナルの存在には驚いた。

そして、本日お迎えするベトナム・ホーチミン市から来日しているレ・ティ・タン・フェンさんが乗車する大阪からのJR高速バス「青春中央ドリーム・82号」の到着の時刻がやって来た。胸に(いつも国際会議の裏方で付けている業務用の)名札を準備して最前方へ立った。定刻4、5分前にバスはほぼ満席で着いた。笑顔で対面、徒歩で新宿駅西口へ移動、歩きながら会話は切れない。初めての日本、そして東京、その印象を聞くと「大阪の人は歩くのが早い・よく喋って煩い・エスカレーターでは右に立つ(東京は逆で、左側に立つ)・・・」語っていた。

朝8時20分過ぎ、新宿駅西口エステック情報ビルの喫茶ルノアールに入る。弊社の社員(翻訳編集デスク)は既に来ていてソファに座っていた。お互いに自己紹介、一緒に朝食、懇談のあと、工学院大学にちょっと立ち寄り、一行は東京都庁第一庁舎の展望室へ向かった。私にとっては、本日またまた初めて体験となった東京都庁展望台です。東京都庁展望室へは、第一本庁舎1階から南棟と北棟に分かれるが、南棟の「展望室専用エレベータ」を利用して45階の 東京都庁展望台へ着いた。靄がかかり富士山は見えなかったが、東京の街は一望できた。

そのあと、フェンさんの希望により、新宿東口の紀伊国屋書店に向かった。目的は、日本語能力試験の1級を取得するための参考書の購入。既に2級を取得するフェンさんとしては、次の難関1級を受験して合格すること。両手の紙袋いっぱいの日本語能力試験の1級の参考書を手に書店を出た。

丁度、お昼のランチタイムとなり、お食事は何がいい?と尋ねると「カレーがいい」とのこと、新宿でカラーライスと言えば定番は中村屋のインドカレー、そのまま書店の向かい側の中村屋のレストランへ入りました。いつ来ても変わらない味、流石に老舗料理だと思いました。ベトナムのフェンさんの「この店、美味しいです」と言っていましたが、添え物のラッキョウや漬物は口に合わないとのことでした。

フェンさんは、ベトナム・ハノイ市在住、ハノイ国家外国語大学で日本語を専攻して卒業、ホンダベトナム(HVN)に勤務を経て、FPTの日本語コミュニーケーターとして勤務、現在は京都のパナソニックに出張で来日中。ベトナムではホンダのオートバイが足だそうだが、大阪の街はバスと電車の公共交通で使っているとのこと。

東京とハノイとの時差は僅か2時間、弊社のベトナム語の産業技術系の翻訳業務をお手伝いいただいたことから、本日の対面となった。海外ビジネスは、アメリカから中国へ、そして既に時代は「ベトナム」へとシフトしていることを感じた一日だった。フェンさんと東京駅新幹線ホームで、別れの握手をして東京駅を後にした。夜、早速、無事に大阪に戻って来たとのお礼の電子メールを受信した。これからも、フェンさんとは仕事を通してお付き合いが続くことでしょう。

H.20/08/02


アメリカ・ジョージさんのお嬢様からの手紙
  5月13日



米国メイン州に住むジョージ氏が天国へ旅立ったという知らせが、彼のお嬢様から届いた。
想えば今から35年前にイタリアの「TOYS」というアンティーク・トーイの専門誌が取り持つ縁で彼と知り合い、何百通の手紙をやり取りしてきた。
知り合った当時の私は高知西高校の1年生だった。彼は50歳近くの農場経営者だった。単なる海の向こうの趣味仲間から始まった付合いは時間とともに発展し、彼の第二次世界大戦当時のドイツ戦線体験談やご自分の広大な農場のことや米国東海岸New England地方のグルメのこと、あらゆる話題が日本人である私にも分り易い英文タイプでタイピングされて来た。
35年間も付き合っていながら対面することはなかった。
昨年クリスマスに彼から届いた一通のグリーティングが最後の手紙となったが、彼の娘さんからの手紙は「父が安らかに他界した」ことと「Tanaka-Sanにお世話になった」こと、「家には私が送った日本画のカレンダーがかかっている」ことが綴られていた。

これまでにジョージ氏が送ってきたアメリカの写真、新聞雑誌の切り抜き、ステッカーそしてヴィンテージ物のミニチュアカーは多数あるが、何よりも数え切れない沢山の思い出がある。

米国の友人George G. Sidelinger氏のご冥福をお祈りします

最近、長年愛用していた年代物のJOHN DEERE農耕トラクター(画像のトラクター)を売却して1931年製造のフォードA型セダンを購入して地元ドレスデンの街をドライブすることを楽しんでいたことも思い出した。ほんとうに愉快な米国人だった。
これまでのご厚情に心より感謝しています。

H.20/05/13


羽田空港国際線ターミナルに思う
   4月7日

良く晴れた昨日の日曜日の朝、中国上海から帰国する家族を出迎えに私は自宅のクルマで羽田空港(通称:ビッグバード)の国際線ターミナルに向かった。

練馬の自宅から約1時間40分、クルマは国際線ターミナルに隣接しているP5「第5駐車場」の入口に到着したけど、既に「満車」の表示。
出迎えた飛行機の到着までは未だ余裕があったので「満車」の掲示板の前まで侵入して停止したところ、その料金所の係員が走ってやって来たのには驚きました。「ここで待っていても駐車場は空かないですよ・・・前は1時間以上前に1台出ただけ・・・国内線の方へ回ってください。」とのことでしたが、そのまま待つことにしました。窓を開け、FMラジオの音楽を聴きながら待つこと15分、運良く1台のクルマが出庫したので私は駐車場へ止めることが出来ました。


確認したところ、この国際線用の駐車場は収容台数40台程度でしかも常に昼間は満車状態だそうです。
公共交通機関を利用した場合も「羽田空港駅」(京急線)あるいは「羽田空港第二ビル駅」(東京モノレール)の 国内線ターミナル(ビッグバード)1階乗り場から. 循環バス(「空港内循環」行または「国際線」行)に乗り換え移動する必要がある。
大きな荷物を持っていたり、小さな子供がいる利用者は困る空港だと感じました。
昨年9月29日、羽田−上海(虹橋)の航空路線が就航したので、中国上海への観光にビジネスにより便利になりましたが、肝心の羽田空港施設内そのものアクセスを早急に改善して頂けたらいいなぁと思いました。

昔、ボーイング727やYS11型機で乗り降りした時の羽田はINTERNATIONAL空港として日本の入口でしたが、今こうしてアジア圏からも航空機が降り立つ飛行場としてあることに喜びを感じました。

H.20/4/7


米国ネブラスカからやって来たレジ袋
   4月5日

昨今、スーパーマーケットによってはレジ袋を有料化したり、お買い物バッグを持っての買物を推進する「マイバッグ運動」が行われたりしている。誠に結構なことだと思います。



さて、ここに紹介した画像は普通のレジ袋3枚です。これは今週木曜日に米国ネブラスカ州リンカーン市の友人宅から届いたSmall Packet (小型小包)郵便の中に詰められていたものです。
あくまでも梱包上の衝撃保護材として団子のように入っていた物ですが、(小生の職業病??なのか)横文字のレジ袋がデザイン的に面白そうなので 拡げてみました。 ご覧ください。いずれも食料品店のものらしいです。

ちなみに、本日買物に行った近所の大手スーパー「西友」のレジ袋は白の無地でしたが、それは全く商売毛がなく好感がもてるレジ袋だと思いました。

H.20/04/5


地元『光が丘』の桜は満開!
 3月28日

朝会社へ向かう通勤路、練馬区光が丘の自宅前の豊島園通りから光が丘公園の外周道路を通って板橋区成増2丁目の会社事務所へ向かう交差点前の信号待ちのときにワン・ショット、スーツのポケットの携帯電話の内蔵カメラで撮影しました。 今日の朝8時45分ころ。


平年より早く満開を迎えた地元の桜並木です。
ここ『光が丘』には約540本の桜の木があると言われていますが、 この週末はお花見で賑わうことでしょうね。

H.20/03/28


ランチは専ら自家製そばとおにぎり
  3月27日

本昨年3月まで仕事の都合で日本橋の街角で昼食をする日々を過した。中でもお気に入りは日本橋プラザビル1階のカジュアル・イタリアン・レストラン『Vino Vita(ヴィノ・ヴィータ)』のトマトを使ったパスタと焼きたてのパン。打ち合わせをしながらランチをするには絶好の店でした。



それから1年が経過し今のランチの献立は、自家製のざる蕎麦(100g)梅干入りおにぎり(1個)が専ら定番。多忙ななか昼食をとるのにピッタリ。純粋に日本食になりましたが、これが飽きないから不思議です。


この献立は前夜に前もって少々硬めにそばを湯がき、タッパー容器に詰めて出勤します。一方、おにぎりは中には和歌山産の塩分5%減塩梅干し1個の実の部分を入れ、包みは瀬戸内海産の海苔で巻き、ご飯のところには黒ゴマを少々掛けて出来上がりです。板橋の事務所で昼食をとる日はこれで決まりです。

ただ、この自家製の『梅・黒ゴマ・海苔おにぎり』は困ったことに毎日のようにサイズが変わります。それは、前日の夕食時の長男の食欲に左右されるのです。長男の食欲旺盛な夕食の翌日に持参するものは、当然のことながらご飯の量は減り、小さなおにぎりになってしまいます。

果たして明日持参する自家製おにぎりの大きさはいかなるものか?


H.20/03/27


20年間現役で活躍する社用車?
  3月25日

今から20年前に会社を設立したとき、会社の事務・什器備品の多くを東京・御徒町の多慶屋さんで購入した。友人から「何でも安く揃う。」と教えられた。
そのとき、ヒルトン東京ベイから転職してきた女子社員の社用車として、26インチの軽快自転車を1台買った。変速機は付かないごくごく普通の自転車ですが、その売り場で最安値とは言え12,800円だったと記憶している。
この頃の自転車は造りがしっかりしているのだと思う。

この社用車(自転車)は平成12年の暮れまで東京・麹町の街を社長秘書・総務課・営業部の女子社員の足として軽快に走っていた。

今日、私の通勤用として現役です。4年前に前後2本のタイヤを新品と交換した以外はパンク修理くらいで調子良く走ってくれています。
昔、自転車は高級品だったと思います。今、近所のスーパーの売り場では6,980円から27インチの買物カゴ付の自転車が並んでいる反面、当社の成増営業所付近の路上(国道254号沿い)放置自転車の撤去受け取りの罰金は最近では4,000円。面倒な人は撤去先には受け取りには行かず、新たに自転車を購入する人も少なくないようです。それでは、自転車も哀しんでいると思います。
当社の自転車はうっかり鍵を掛けずに銀行や郵便局などの前に10分、15分止めても流石に20年経つ中古車だと盗む人はいないようだ。


今日も20年前の愛車で光が丘公園の桜並木を抜けて通勤した。
天気のいい日のサイクリングは清々しい気分になりますね。

H.20/03/25


東京・光が丘公園のフリーマーケット  3月16日

毎月1回開催されている東京・光が丘公園のフリーマーケットに行って来ました。今月第2日曜日の朝9時半、既に会場広場は賑したわっていま。無愛想な出店者、ちょっと足を止めただけで話しかけてくる出店者。私のお目当ての品は家庭から出てくるレトロなグッズや懐かしいおもちゃです。ただ「やったぁ〜!見つけた。」と思いきや値段を見て再びビックリ。出店者と会話をしていると、どう観てもプロのオヤジさん(出品者)だったりする。しかし、稀には専門店等で1万円以上の物が300円、500円で 並んでいたりするから面白い。


ところで、この光が丘はアメリカ「米軍住宅・グランドハイツ」から返還された後、昭和58年2月から入居が始まり、現在23区最大の団地「光が丘パークタウン」です。私も入居第一号の公団住人の一世帯ですがその後の移転先も再び「光が丘」となり、この街が第二の故郷となりつつある。


広大な緑の公園・・・そして図書館、商業施設など意外と便利なところだと思います。

H.20/03/16


はじめに
   3月15日

本日、このサイトに「社長のブログ」を立ち上げるにあたり、トップ・ホームのデザインを制作担当者にお任せしないで、あえてこの地味な故郷の河川画像「仁淀川」を選びました。
私のふるさと高知県の仁淀川は、四国の最高峰石槌山に源を発し、 その澄んだ水の流れは太平洋へと注いでいる。
仁淀川流域に私の父や母の実家があり、親族の多くも暮らしている。

                    田中 秀明

H.20/03/15


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